RON進学塾物語

塾長の「齋藤 諭(さいとう さとし)」です。

この塾が誕生するかなり前の話になりますが 

授業中に私の名前 「諭(さとし)」を「論(ロン)」と 読み間違えた女子がいました。

それがクラスで大うけし その時に、私の呼び方が「ロンちゃん」ということに決定したわけです。 その後も、自然に子どもたちに受け継がれ、今日に至っています。

平成17年の6月に、この塾は誕生しました。その時に塾名を考えましたが、 自然に「ロン」が頭に浮かんできました。

この塾は、子どもたちに支えられて誕生した塾です。これからも子どもたちが主役となるドラマが、この塾で繰り広げられることを 願っております。

◎ かまい

私は、家がたった7軒しかない、山形県の山奥にある、貧しい開拓村で生まれました。そこで、私は小学3年まで過ごし、その後、私の家族は大阪に引っ越ししました。私には、2才違いの兄がおります。開拓村当時は、私は野原を駆け巡る野生児、兄はほとんど 外で遊ぶことがなく植物図鑑や世界地図などを見ている少年でした。
大阪に引越しした後も、兄は勉強の世界にすんなり入っていき家では文庫本などをむさぼるように読んでいました。一方、私のほうは大阪に馴染めず、開拓村に戻り、自然の中で遊ぶことを夢見ていました。そして、勉強にはまったく気が向いていませんでした。 ところが、そういう私にも転機が訪れます。5年生の時の担任であった、角野先生に出会ったことがきっかけです。角野先生は、年配の女性教師です。常に子どもたちのそばにいてくれて子どもたちをとてもよく「かまう」先生でした。私にも、特別に問題集をやらせてくれたり、お帰り問題といって算数の問題を出してくれたり・・・その先生が「かまって」くれることがとても嬉しくてその先生の言うことを素直に聞くようになっていました。当時は、中学受験は特殊であり、ほぼ全員が地元の公立中学校に進学します。私は、 入学後に行われた校内一斉テストで上位になっていました。 卒業後、クラス会で角野先生とお会いした時、先生もそれをご存知で、とても喜んでくれました。そして、その頃から勉強の世界が面白く感じるようになっていきました。
当時は、兄との違いをよく考えさせられました。環境が変わっても、勉強し、成績がとても良い兄でした。
しかし、私は、兄のようにはできないわけです。私のような普通の子が成長していくためには、人との出会いがあり、そして、気持ちが伝わる 「かまい」が必要だと思います。その中で目覚めていくのだと思います。
 


  私は、気持ちのこもった「かまい」こそが、教育の原点だと考えています。
  そして、「かまい」が最も必要なのは、小学生時代だと考えています。