教え子であるМ君の話です。
М君が高3になるときに、
大学進学のことで相談に来ました。その時に、中学受験の時の思い出を話してくれました。
「塾にいるのが楽しくて、いつまでも塾で勉強していたいと思っていました。」
「できるまで待ってくれることがうれしくて、こんな僕でも、やればできるんだという自信をもつことができました。」
今、М君は、大学で教えています。
子どもが成長するには、体の成長の栄養だけでなく、心の成長の栄養も必要です。その栄養が『かまい』です。
ひとりひとりに心をくばり、気にしてあげること『かまい』を続けていくと、そこが居心地のいい場所になり、存在感を感じ、素直になれ、やがて、自分の意志で向かっていこうとします。 そして、 一生懸命に向かっていくことが とても楽しく感じるようになっていきます。
『かまい』こそが、成長の原動力であり、がんばれる子になる基だと考えています。
RON進学塾の、この精神は今後も変わることはありません。
私たちがやっていること、やろうとしていることを、
子どもたちや保護者の方に 、これまで以上に身近に感じて欲しいと願って、
この『学習室』を立ち上げました。
ひとつのことを説明した後、わざと時間をおきます。
一人一人の目を見渡します。
それぞれが、頭の中を整理する時間。やがて 目を輝かせながら
『あ!そうなんだ。』 『あ!そうなっているんだ。』
こどもたちが声にし始めます。
補講の時、制限時間を設けないで問題を解かせます。
すると、 うれしそうに 『そうだったんだ。』と 声を出し始めます。
子どもは 教えられるだけでは成長しません。
感動をともなった、『気づき』があって、初めて成長するのです。
『創造力』という言葉が気になりだしたのはかなり前です。算数の問題を解けるようにするためには、『処理能力を高めるというより、創造力を高めるというふうに考えるほうが正解でないのか』と考えるようになったからです。
そんな時、中央公論の新書だと思いますが、川喜田二郎の『KJ法』という本に出会いました。これが私の求める創造力だと思い、東横線の学芸大にある研究所を訪ねて、『KJ法』の研修をうけました。自分勝手な解釈かもしれませんが、『創造するということは、この世にない何か新しいものをつくりだすわけではなく、事実を素直に受け入れ、その事実の根底に流れている本質に気づき、それらを組み合わせていくことである』というのが結論です。当時、どうしてこんな単純なことに気づかなかったのかと、悔しい思いをした記憶があります。算数の問題を解くという行為は、問題に書かれている一つ一つの事実が訴えていることを汲み取り、『あっ・そうだ』と、気づき、それらを組み合わせていくことです。私流の解釈であるかもしれませんが、それが立派な創造の世界なのです。
なぜ、このようなことを書くのかと言えば、今日の社会の中で、子供たちの創造性をつぶしているケースが多すぎる気がするのです。色々な事実(問題)を与えても、気づけない多くの子を作り上げている気がしてならないのです。教材・システム・テスト等が整いすぎ、気づく必要がなく、また、追われるように勉強するため、気づくための余裕がなく、処理能力だけが求められている気がしてなりません。問題が解けない時、子供たちはこう言います。解き方が分からない。1000題問題があったら、1000個の解き方あると思っています。その全部を覚えなければ、問題は解けないと思っています。まさしくコンピュータです。今日の日本の子供の学力は、以前と比べると、格段に学習環境がよくなっているにも関わらず低下しています。まさしく創造力の低下が大きな原因だと思います。
川喜田二郎先生は、私が研修を受けたあと、ビールを片手に、こんなことを話してくれました。『混沌から創造性へ』 まさしくこの言葉だと思います。子供たちは混沌の中にいます。その中で、子供自身が、一歩・一歩、歩みながら気づいていかなければなりません。大人の役割とは、子供が気づける状況を作ってあげることだと私は思います。
「この子が受験したいといいますので、お願いします。」
お母さんに連れられたB君と出合ったのは、5年の夏期講習前です。
B君には、姉がいます。他の塾に通わせていました。彼女は、3・4年の時は成績がとても良く、お母さんも夢中になって勉強を教えたそうです。ところが、5年になると、反抗的になり、成績も下降し始め、感情的に怒ることも多くなったそうです。そして、お母さんも疲れ果て、この状態ではいけないと思い、5年の途中からRONへ転塾してきました。
転塾した当時は、ごまかしや、言い訳が多く、自分の良さを出せない子でした。
そして、お母さんも子供の勉強面に、ついつい口を出してしまっていました。
補講を開始し、私たちと一緒に過ごす時間が多くなるにつれて、彼女は、もともと持っている元気のよさを発揮するようになり、自分から勉強に向かうようになっていきました。
そして、受験も、本人が納得する結果を出すことができました。
『なんといっても、塾が大好きになり、受験までたどり着いたことが本当にうれしい!』
受験直後のお母さんの言葉でした。
B君の受験は、
姉の時の経験もあり、本人が塾に行きたいというまで待ったそうです。そして姉からのすすめもあり、5年の夏前に、受験をしたいと言い始め、塾に通うことを決めたそうです。
まだまだあどけない、小さな男の子です。
初めの頃は、覚えること、ノートにていねいに書くことなどは面倒くさがってやろうとせず、遅刻はする。宿題は忘れる。天真爛漫な男の子でした。
ところが、不思議なものです。塾にいる時間が増え、色んなことを話す機会が増えるにつれて、彼の中に、向かっていく意志が芽生えていくのがわかりました。
まず、覚えることに意識し、確認テストで結果を出すようになってきました。
算数は、もともと好きな子でしたが、話を聞かず、自分勝手な解き方をして間違えたり、計算が嫌いな、ミスの多い子でした。
それが、「君は、算数が得意になる子だよ。」と、囁(ささや)き続けていると、自分から、授業後も残るようになり、問題が解けないことを悔しがり、間違えたことを悔しがり、涙を流すことも幾度かあっては、夜中の12時を過ぎても帰ろうとしない日もありました。
5年の頃は、近くにあるN中に行きたいと言っていたのが、私のすすめもあったと思いますが、6年の秋頃に、本気で、最難関校の一つであるA中に行きたいと言い始めるようになっていました。
面談の時にわかったことですが、両親は、息子さんの強気な受験におろおろしたようです。
残念ながら、A中の合格はもらえませんでしたが、同じぐらい気に入っている学校に、納得して進学していきました。
今も、A中の過去問に、必死に向かっていたB君のことを思い出します。
地元の公立中学校には進学したくないという理由で、5年生の途中から受験勉強 を開始した女子の話です。
最初の目標は、近くの女子校でした。まさしく、その子の受験はゼロからの出発でした。最初のうちは、自信がなく、質問をすることもほとんどありませんでした。ところが、塾が好きになり、勉強すること自体がとても楽しくなり、時がたつと、積極的に受験を意識するようになりました。
面談等で話していくうち、色々な学校に興味を持ち、徐々に目標校のレベルが高くなっていきます。まさしく、ゼロからの積み重ねでした。
最終的にその子が選択した学校は、難関校でしたが、見事に合格していきました。
『ゼロからの積み重ね』この考え方を大切にしたいと思います。
多くの受験は、最初からある基準を設定しようとします。そして、その基準を満たすために必要な、多くの情報を手に入れて、形あるものに自分の子供をあてはめ、懸命に突き進もうとします。
しかし、そのやり方は、その子に十分資質があれば、それを満たしていくと思いますが、多くの場合、満たすことができなくなり、基準を下げ続けていくのが現実だと思います。
親は理想を我が子に求めます。そうであって欲しいと願います。しかし、主人公はその子自身です。総てがその子自身から始まっていかなければ何も得ることは出来ないのです。子供の資質をしっかり確かめ、良さを引き出し、一歩・一歩、共に歩んでいく姿勢がとても大切なのです。
子供にとって一番必要なものは、存在感です。
認められている自分、愛されている自分。それが否定されると、反抗的になったり、無気力になっていったりします。子供が存在を一番認めて欲しい人は、親です。親に認められたくて、愛してもらいたくて、懸命に努力しているのが子供です。
子供の存在を認め、ゼロから積み重ねてみませんか、一緒に一つずつ、上がって行くことを喜んでみませんか、そこに、存在を認められた活き活きとする子供が実在していきます。